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ハ・ジョンウのすべてを PART.3

hajungwoo3.exblog.jp

ハ・ジョンウの情報サイト

日本語訳で

昨日7/2(土)から、シネマート新宿にて 『チョンウチ 時空導士』 が公開になっています。

早速初回を観に行ったのですが、なかなか大勢の人で賑わってました。
女性ファンのみならず、意外に老若男男も多かったです。
ふと思い出し・・・『国家代表』の何倍?~と比べてしまいました(泣)
しかし、この映画も日本上映まで時間がかかったようで~2009年冬の公開だそうです。

さて、私の目当てはキム・ユンソクさん。ジョンウとは切っても切れないお方です。
やっぱりカリスマ、存在感抜群でカッコイイです^^^^^
日本語訳で_e0148490_281162.jpg
衝撃は、当時も少し話題になった、イム・スジョンとのキスシーン。
これがドッキリ!セクシ~~~カン・ドンウォンファンの友人もビックリしてましたが@@;
・・・劇場で確認を(笑)


さて、先週やっとジョンウのエッセイ本を手にしました♪
現在ソウル在住のutakoさんに買っていただき、訪ねたsakaki☆さんが持ち帰り、
そしてまた、はるばる届けに来ていただき~有難うございました^^

現在も根気強く読んでるんですが、、、なかなか進まない。今や私の教科書です(笑)
ここで、勉強のつもりで冒頭部分を日本語にした内容を紹介させていただきます。
ニュアンスが伝わるようなそのまんま箇所と、私の学力では表現できない箇所とのコラボ(?)
なんちゃってですが、ご容赦を。
A PAINTER#01 画家遊びがしたい

こんな言葉をインタビューの時に何回か言ったことがある。

いつか海外に出ることがあったなら、入国申告書の職業欄に‘俳優actor’と書かずに
‘画家painter’と書きます。そう書く方がずっと自由で楽だから。

しかし、この言葉だけでは正確な意味を伝えることができないだろう。私にとっては俳優より画家という職業の方がよく合っていて意味があるのだ、という話に聞こえるだろうか。画家という職業に付いてくる難解で自由奔放なイメージのために、自身を‘持て余す芸術的才能を持った俳優‘であることを包装するようにも聞こえるだろうか。
もちろん絵を描くことは本当に楽しく、私自身と切り離す事ができない重要なことだが、そう聞こえるなら少し問題がある。実は本当の理由は他にあるからだ。私が入国申告書に画家と書くようになった決定的な事件、その事件の話をしよう。

 映画<時間>(2006)を撮って、アメリカへ旅行に行った時だった。私にとっては意味が大きい旅行だった。20歳の頃、夢を抱いてニューヨークに初めてやって来たが、どうしようもない事情のために韓国へ戻らなければならなかった(「灰色時代」162頁)。その出来事は実に7年間も私の人生に陰を落としたが、それが終わった記念であり、その間よく持ち堪えた自分自身を激励しようと押し進めた旅行だった。またアメリカに来たのだという感激、戻って来た私を迎えてくれることへの期待、そうした全てにワクワクした喜びの瞬間だった。

 朝7時、アトランタに到着するや否や、煙草がとても吸いたくなり急いで走り出た。最初の入国審査を通過しようとしたが、検査官が何故ここに来たのかと聞いてきた。その時私は青いジャケットに髭を伸ばしビニ帽を被っていた。あ、リュックサックまで担いで、韓国なら誰が見てもクールでナチュラルな姿なのに、ここではそうは見てくれないようだ。
友達に会いに来たと答える私をしばらく見つめた後、あそこの事務所へ行けと指を指した。そこにはアラブ人の男性やロシア人の女性などが、イライラした表情で集まり待機していた。いい気分ではなかった。私を迎えに来て待っている友達に助けを求めなくてはと考えた。電話をかけたいと申し出たが、使えないと言われて取調室のような所へ連れて行かれた。どうしてアメリカにやって来たのかと何度も質問しながら。

 私は今でもそうだが、寝て起きたら必ず身体がトイレに行きたがる人間だ。朝7時に到着したので当然身体から信号が来ていた。そこで、とりあえずトイレに行かせてくれと頼んだら、保安要員のような男性が私を静かな所へ引っ張って行った。扉の前に着くと、彼は錠前を取って中に入って行った。中を見るとそこは留置場なのか、誰かが監禁されているではないか。そして、その人の横の広々と見える場所に便器があった。保安要員がここを使えと首を振った。
 
 いや、ドアもない便器の蓋もない取り残されたトイレで、しかも横で誰かが見ているのにどうやって…言葉を失ったが身体からは継続して信号が来ていた。緊急事態だ。早く解決しなければ、他に手段はなかった。そんな屈辱的な状況は私の人生で初めてだった。そして、今に至るまで想像してみたこともない状況に直面したと考えると、今からどんな事が起こるか分からないという怖れも感じ始めていた。
  
 男は私を引っ張り再び取調室に連れて行った。気を引き締めなくてはいけないと考えた。英語が未熟なため失敗すればもっと大事に至るかもしれないと考えて、通訳を呼んでほしいと頼んだ。呼んでくれるわけはなかった。ひたすらアメリカに何しに来たのかと追求を続けるだけだった。もしや、ここで働くつもりではないのか、と疑ぐりながら。
 
 その瞬間思った。次からは決して職業欄に‘actor’と書いてはならないと。今その単語のせいで、この苦労をしているのではないかと考えた。彼らの目からは東洋人‘actor’である私が不法滞在者に見えるのだ。こう見えてもカンヌのレッドカーペットを踏んだ人間なのに…

 それからは冗談のように‘painter’と書いている。‘actor’と書く時、起きるかもしれないその時の悪夢を未然に防ごうとしているのだ。‘そう書く方がとても自由で楽だ。’という意味について、少しは説明になっただろうか。ところで面白い事実は、冗談のように自分を‘画家’と決めてからは、本当に自分が画家だと感じるようになってきた点だ。これまで根気強く絵を描いてきたが、‘画家’だと自分を称するのは少しぎこちなく恥ずかしい。専門的な絵の勉強をし、関連する学科を卒業し、ひたすら作業室に閉じこもり絵だけを描く画家とはあまりにも遠いからだ。今でも絵と関連したインタビューをした翌日の記事を見るのが面白い。私を紹介する呼称‘俳優兼画家ハ・ジョンウ’という言葉が笑える。俳優なら俳優、画家なら画家なのに。俳優でありながら画家だとは、それはまた何かのようでもあり。

 私と関係のある美術界の人々の大部分が弘大に居るため、彼らと会う用事がある時は弘大へ行く。弘大で食事をして酒を飲んでいると、友人たちから電話がかかってくる。

‘どこにいる?’
‘弘大’
‘何してる?’
‘画家遊びしてる’

 画家遊び、ずっと俳優の道を歩いて来たが、ちょっと前に入ったまた別の道、画家という名前を言う度に言葉にぎこちない。しかし先が開けているからといって、決して画家の道を軽く考えているのではない。私にとって絵は演技と同じように絶大的なものだから。
 
何よりも、私にとって俳優と画家は同じ根本から出ている別の顔だ。俳優が米で飯を炊く仕事なら、画家はその滓で酒を醸す仕事だと説明したらいいのだろうか。同じ材料を使って違う方法で作った結果、全く違ったものが出たのだ。
 
運動選手のようにキツイ訓練をして競技に臨む姿勢で映画を撮る。そうして飯のように演技が作り上げられる。出れば身体と心に残留物が出来る。演技では解消しない何かが。それを引っ張り出して絵を描く。そうすれば酒のように絵が出来上がる。絵が私を回復させ、演技を精進させようと鼓舞するのだ。

 この本はそんな演技と絵についての話が盛り込んである。その間、よく知ろうとしなかった人間ハ・ジョンウについて、初めて正直に真剣に思う存分さらけ出した。それぞれの話は演技と絵のようにお互いを補完して、全部の話を全て読んだ時には、人間ハ・ジョンウをある程度は理解出来ていると思う。もしかしたら一冊の本の中に、あまりにも違う話が共存しているかも分からない。しかし、これは全て私自身、ハ・ジョンウの人生に流れ出る話なのだ。ハ・ジョンウを読む方たちが何よりも楽しんでもらえたら嬉しい。
 
さあ、それではこれからハ・ジョンウの話を始めよう。

最初は当然順番に読もうと思ったのですが、
「!エッセイ本なんだから好きに読んだらいいんだわ!」と突然閃きました(笑)
面白いエピソードを見つけたらまた紹介しますね♪


by uki
by kusu_woo | 2011-07-03 02:53 | その他