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ハ・ジョンウのすべてを PART.3

hajungwoo3.exblog.jp

ハ・ジョンウの情報サイト

失敗さえ興味深い野心家①

cine21に長いインタビュー記事があります


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<許されざる者> <ビスティポーイズ> <素敵な一日>で彼が演技した適応上手にしてしゃあしゃあした男の肖像は俳優ハ・ジョンウの特色でもある。 映画中に入った彼は無色無臭で弾力がある。 彼の顔は絵のように美しくはないが、長い目じりと赤い唇はスクリーンに表情を明確に刻んで、柔軟な長身は姿勢の小さい変化で豊富な表現を駆使する。 観客は止まって、彼の姿を鑑賞しなくてもハ・ジョンウが動けば目で追う。 それでハ・ジョンウにただ必要なことは、クローズアップでなく観客が彼を注目できる豊かな時間だ。

<許されざる者>のテジョンから<素敵な一日>のビョンウンまで、ハ・ジョンウの人物は時間だけ与えれば映画が熱心にかばわなくても観客に自身を解明やり遂げた。
一方編集で削除された分量が多くてスクリーンに露出した時間が短かった<九尾狐家族>と
<潜伏勤務>でハ・ジョンウが濃い印象を残すことができないのも無理はない。

ハ・ジョンウに結構長くついて回った“彗星のような新鋭”という評判は、彗星が私たちの視野に入ってくるまで長久な旅行をするという点を考慮する時だけ適切だ。

ハ・ジョンウのストーリーはとても童話的であるところがある。 少年は持って生まれた才能を早くから自然に認識して楽しんだし、演技者のお父さんと舞踊を専攻したお母さん、運動選手とモデルの親戚が珍しくない成長環境は彼の夢に多分友好的だった。 外国語からピアノまで遺憾なく享受した趣味も後日正確に演技に所用になったのでそれこそ未来の伝記作家を意識したような人生だ。

ついにまともに演技を勉強することになった時の身命を追憶するハ・ジョンウの語り口には安堵感まで映って出る。 俳優ハ・ジョンウは誰かが読むのを永らく待った本だ。
<2番目愛>を製作したイ・ジュンドン代表は釜山映画祭で、<許されざる者>を共に観覧した映画関係者らが、ハ・ジョンウがいつさく烈しても必ずさく烈する俳優というところに異見が無かったことを記憶する。 しかしハ・ジョンウを興奮をかもし出す俳優で作ったことははやい抜け道に無関心に見える歩みであった。 <時間> <九尾狐家族> <息> <2番目愛> <追撃者> <ビスティポーイズ> <素敵な一日>につながる下情友情出演作目録は低予算芸術映画や快く投資を受けにくい映画を歓待した。

<プラハの恋人>で知名度を高めた直後ドラマ提案をはね除けて<時間>に飛び込んだし<ヒット>の‘ワンソフンナムキム検事’が愛された次には、あたふたと<追撃者>の連続殺人者で態度を変えて冷酷になった。 一見バカ正直に見えるこの履歴はもしかしたら俳優として利己的な選択であったかもしれない。 “挑戦的配役を欲を出すことはできるが欲に値段する成就まで見せることは容易ではないがハ・ジョンウは難解な役に続けて挑戦して、皆一定の完成度を出した。”イ・ジュンドン代表の評価だ。 ついにナ・ホンジン監督の<追撃者>がおさめた立志伝的成功は韓国映画の問題作と共に浮上して,席を固めた先輩ハン・ソッキュ,ソン・ガンホの前例まで連想するようにした。

ハ・ジョンウはエリート俳優だ。 名門大卒業証書があるエリート俳優でなく、俳優としてエリート的成長過程を経たのでエリート俳優。 ハ・ジョンウは野心家だ。 どんな地位を確保することが目標でなく卓越した俳優になることが点紙なった天の命令であることを疑わないという意味で野心家だ。
はなはだしきはハ・ジョンウは自身の作業が好評受けるのか無視されるのか見回すところに終わらないで、正しい理由で注目されるのかこだわる。 自ら慎重に作品に臨んできたが単に興行がうまくいったという理由で<追撃者>が自分を見る視線を変えたという点にこの上なく気を遣う。 良い芸術家は賛辞まで勝ち抜いて生き残らなければならないという事実を彼は知っているのか。 確かにこの綿密で慎重な俳優は予想できる方式で失敗しないだろう。 もし失敗が来ればそれは思いがけない方向から訪ねてくることであり、私たちにはその失敗さえ興味深いだろう。



ここからがインタビューです
ホントに長いんですが。。。秋の夜長 お時間のある時にでも ぜひ
不明箇所多々ありですが(汗)


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-詩人が出版する前から詩人であるように、デビューをして俳優の意識を持つわけではないでしょう。 あるミュージシャンは高校でバンドをする時から“私はミュージシャンだから神秘性がなければならなくて”と考えて行動したと聞きました。 ハ・ジョンウ氏はいつから自分を俳優と感じたんですか?
=三才の時だったか、ケガして泣きわめいたことがありました。 一度泣き止んでまた泣き始めたが最初の涙は本当に涙だったが,二番目の涙は最初の涙を流した感情を持って演技したことだったという事実をぼんやり悟ったようです。 その次からどんな経験をする時はいつか表現することになると無意識的に考えて‘俳優として’記憶しておいたことのようです。

-普通の家庭で俳優になるといえば例外的な希望だが、お父さんが俳優であり成人演技者らをよく対すると自然に選択できる職業の一つで見えたりもしました。
=しかし俳優2世だから当然演劇映画科に行くという視線は嫌いでした。 それで大学の専攻は他の学問をして迂迴路を選べばどうだろうかと思いましたよ。 ところでお母さんが演劇課を強く薦められて手を握ってマネジメント社を訪ねて行かれました。 入試のための演技学校も登録しましたがその時イ・ボムス先輩がうまく行く講師でしたよ。 (笑い)同じ企画会社にいらっしゃったイ・ギョンヨン,クォン・ヘヒョ先輩などが私が何をするが演技すれば感心して下さったりしてそびやかしましたよ。 そうするうちに中央大演劇課に入学して出てこわれ始めましたし。 (笑い)

-教授よりは同期生から演技に関しさらに多く習う類型ではないか推察します。
=各自のメソッドを探す過程で互いに対話して交流してそうするうちに限界に至れば教授がきて解いてくださいました。 私たちは変だったのが称賛も惜しまなかったです。 友人の公演と練習を見れば華麗な修辞で“実に素敵なラン スルー(run-through,練習)であった。 君の新しい面を見て,感動した”云々する手紙をやりとりしたり。 (一座笑い)
大学1学年の時ニューヨークに3ヶ月間語学研修に行きました。 研修生活がとても楽しかったし学科の雰囲気が強圧的なので学校を止めようかと考えました。 何ヶ月もの間公演準備をしたりお手伝いだけしてお酒だけ飲んで習うこともないようだし。 それでそそのかした二人の友人の中の一つがキム・カンウだったんですってば。 面白くなったのは結局何年後にカンウや私や学校で学生会導いて中枢役割をしたことでしょう。 (笑い)

-本来反旗を翻す人々がリーダーシップも強い方です。
=そのように1学年時は休学するかニューヨークフィルムアカデミーに留学するか悩んだがその時家に大きい事件が起きました。 IMF頃お母さんと母の実家でした事業が崩れたんです。 その渦中にも留学の考えをあきらめなかったが、ある先輩が今回自分が演出する作品があるのにきっちり一度だけまともにやってみて決めろと薦められました。
フェリーニの<道>を演劇で脚色した作品だったのにサーカス団員の中の一つで分限私の台詞はたった一言“毛布を持ってきて”でした。 舞台に立っているのに人々が笑いました。 あの子は真っすぐ立つこともできませんって。 高かった自尊心にきずが出始めたし熱心にし始めました。 公演した俳優たちと新しい状況を作っていって,演出者に採択されたり演技の途方もない困難と面白味を同時に感じながら,具体的な欲がむやみにできたことでしょう。
その年末中央大で50人がMBCタレント採用試験を受けたが最終まで残った2人の中に入りました。 そして落ちましたよ。 お父さんに軍隊を行くと申し上げたところ、翌日直ちに兵務庁に連絡をしました。 遠く見通す時,軍服務を早く終えて中断なしに演技をすることが,盛んに腰を据え始める何年後に仕事の流れを切るより良いと判断しました。

-男たちどうし集まっている席でハ・ジョンウ氏は主にどんな役割を担当するんですか?
=たくさん騒ぎます。 幼かった時から懇意な友人一考八名があるのに以前にはその集いも私がしばしば主催をしましたよ。

-中央大演劇科会長も過ごしたでしょう? 科でもアウトサイダーというよりは主流の指導者だったようです。 科後輩の俳優チョン・キョンホ氏インタビューを見て驚いたことがあるんですが。 ハ・ジョンウ先輩が“君たちの入学年度でも芸能人が出てこなければならないでしょうに,ハンサムな君が見込みがある”と閉じ込めて(?) 訓練させたというエピソードでした。 振り返ればあの時ハ・ジョンウ氏もちょうどはじめる立場だったでしょうに、指導者の役割をしたことじゃないの。
=私の科が,あまりにもそうします。 二十四五才なった先輩兄たちがひげをたくわえてマッコリを飲みながら,延期論聞かせて。 (笑い)キョンホはとても魅力があって容貌とは違い古典的な友人でしょう。 素敵なやぼったさがある本物の男で。 演劇と会長はほとんど親分です。 120人ぐらいの学生たちの授業,行事不参加理由も皆報告を受けて。 笑わせた点が、MTに陥ろうとするなら医師所見で,ご両親同意書など書類五種類を学生会に提出しなければなりません。 (一座爆笑)

-<マドレーヌ>を始めしばらくオーディションをたくさん見たと分かります。 オーディションの最も苦痛な点は何ですか?
=<マドレーヌ>でシン・ミナさんのボーイフレンド役に合格して,出発はさわやかだったがその次からしきりに落ちましたよ。 映画会社を訪ねて行って待ってビデオカメラの前で自己紹介して演出部員のディレクションにより演技して家に行って,電話を待って,その過程全体がストレスでしょう。 脱落者には電話をしてくれないから一人で敗因を察して。


ロールモデルはロバート・デ・ニーロとアル・パチーノ


-さっきメソッドを言及しましたが狭い意味の伝統的メソッド演技でなく各自合う方式を探さなければならないという意味です。 ある瞬間ハジョンウの方式を探したんですか,進行中でしょうか?
=方式を探せば大変なことになるんです。 ずっと新しいものが出てこなければならないし作品ごとにメソッドは変わらなければなりません。 感情を表現する方式を私が何種類も持っているのか私の話声の音質がどのように変化して私の後ろ姿が歩く時,リズムにどのように乗るのか,手まねと小さい動きがどんな感情神に代入されるのか果てしなく発見して行かなければならないですね。

-私が持ったものが何かを把握することも思ったより長くかかるでしょう?
=それでずっと整理します。 既存の映画のキャラクターでモデルも探して次第オマージュもして。 手本とする俳優が何人かいます。 ロバート・デ・ニーロ,アル・パチーノ,ニコラス・ケイジ,
ジョニーデップ,そしてビンセント カルロ. この頃はダニエル デールイスをまた覗いて見ています。 デニーロは賢いです。 明らかにイメージにハンディキャップがあって食傷ぎみであることもあるがこれも選んで体重も調節してあれこれ試みます。 アル・パチーノのようにイメージと演技パターンを捉えて押し通す底力も偉いがデニーロの方式も良くて,あれこれみなほしいです。

-自身が人より分析的に仕事をする俳優と感じますか?
=たぶんね。 例えば泣く演技ならば,どのように泣きますか?私は泣けないようです。 ただ泣くようにどのようにすればリアルに見えるかを研究すれば良いと思います。 俳優がずっと憂鬱にあってこそ涙演技になるならば難しくなります。 泣くシニも笑う形でも食べるシニや最大限徹底して観客に親切に近寄ることができるようにすれば良いと考えます。

-過去の個人的経験を引き出して,感情を引き上げる方式ではありませんね。
=スタニスルラプスキシク演技は演劇<カルメン>でドン・ホセ役をする時,100%失敗しました。 振り返ればあまりにもエゴイスティックな演技でしたよ。 一人で感情を無理に作り出すならばずっと閉じられます。 そして<オセロ>という作品で、その方式を排除したら観客に伝達がさらにうまくいきました。 ところでカメラ演技で越えてきながら,悩みが大きかったんですよ。
映画演技は、私が主体でするのでなくサイズにより変わります。 感情をどれくらい入れるかとの監督でしょう。 映画のメカニズムを知っていきながら,演技がますます単純化されます。
私が今その時期です。

-新しい人物を受ければ彼の隠れた事情を豊富に想像するほうでしょう? どこから着手しますか? 幼年期のトラウマみたいな重いことからなのですか? バスに乗れば前の席にだけ座る習慣のようにささいな部分からなのですか?
=外形から想像をして似た周辺人物と映画キャラクターたちを取ってきます。 絵でも人物写真でもイメージを収集します。 そしてそのイメージの案を今まで観察した人間たちの姿と監督の話で満たします。 ささいなことまでメモをするから人物ごとにスクラップが生じます。 突然浮び上がるイメージもあります。 <素敵な一日>の,ビョンウンは<キッド>の,チャーリー・チャップリン後ろ姿を考えました。 チャップリンがちっちゃな子にガラス窓に石を投げろとそそのかすのに必ずその子供がヒス(チョン・ドヨン)ようでした。

-新しい映画の撮影開始前日は普通どのように過ごしますか?
=クランクイン直前2,3週は非常に鋭敏でいろいろな考えをすべて聞きます。 できるか疑問を感じて1,2週残したりしたくないという感情が極まって逃げたくなります。 友人たちの話では撮影差し迫る時,酒の席で私が時折戸呆然としてるそうです。 そうこうするうちに5回の撮影が過ぎれば安定します。


失敗さえ興味深い野心家①_e0148490_19591271.jpg-ハ・ジョンウ氏はからだが信頼できる俳優です。 換言すれば敏捷で柔軟に見えます。 哲人3種を訓練したこともあって登録した会員たちの駆け足累積距離を順位付ける某スポーツ用品サイトで、国内ランニング所用時間2位に上がったこともあると聞きました。 色々な活動の中でスポーツがあたえる快感が何ですか?
=軍隊にいる間失恋を体験しました。 当時行政病であって,週末に休暇をしばしば出ることができる条件だったのに,ガールフレンドと別れた後,しばらく部隊の外に出なかったです。 そしてむやみにランニングをしたがそれと共に私が清らかになるのを感じました。 今でも一日二度は運動をします。

-お父さんやお母さんが俳優の演技者たちには見えない余裕があるようです。 仕事の世界と私生活の世界の間に谷が深くないというだろうか。 家へ帰っても俳優が私だけではないという事実が‘正常’でバランスを取る面があるようですね。
=同意します。 夜通し撮影して昼間に寝てお父さんの電話を受けても疲れている素振りを出せません。 10年前家に近づいた経済的困難を復旧するのに6年がかかったがその間お父さんはドラマを20編しました。 5編重なる出演をしながらも家でも外でも表情に出しませんでした。 私たち兄弟もよく勝ち抜くというのをお父さんにお見せしたかったんです。 そのような姿を見守ったので私が今大変なのは何でもないことが分かります。 驚くべきなのはそのことを体験する渦中にも“この経験が後で俳優として武器になる”と考えたということです。 (笑い)あの時私が生きる道は俳優として変化球でない直球勝負だけだと信じました。 直球一つ格好良く投げて,これを誰も打てないようにするという。


<グエムル>のその場面だけねじってたまに見ます


-ハ・ジョンウ氏の演技スタイルを形容詞で描写するならば明快な演技,正確な演技だと言えそうです。 謙虚な話法を使うがそれとなく自分の演技に対する誇りも高く見えます。
=演技をとても好むからです。 映画を見ながらも名演技を見れば熱狂します。 <グエムル>でソン・ガンホ先輩が病院に捕らえられて,頭に注射針がささろうとするプガムショットがあるでしょう。 哀願して売店運営権与えると口説き落として怒るシーンです。 <グエムル>でその場面だけねじってたまに見ます。 セリフも崩れて聞こえることもないのに本当に現実のように触れるでしょう? ああ,本当に!

-それなら悪い演技にも敏感でしょう
=途方もなく。 (笑い)しかし一瞬悪く見える演技にも何か美学があるんじゃないだろうかつくづくと見ます。

-<ヒット>で共演したコ・ヒョンジョンさんはハ・ジョンウ氏がたくさん体験した人のように見えて,演技に対して“これはこれであれはあれだ”と体系的に整理しておいた俳優のようだと話したのです。
=学校に通う時,称賛一言受けるのが難しかったです。 へっぴり腰に立っている姿勢をはじめとして,ハンディキャップも多かったんです。 A型にムルゴギジァリラソインジ完ぺきになりたいという欲のためにあらゆる研究をたくさんしました。 周りの人々の人物型を整理したファイルも作りましたよ。 とんでもないきっかけがありました。 ガールフレンドに失恋して女心を知りたくて<女心攻略法>という本を読んだが、それを手始めに高速道路で3千ウォンで売る本,<星座では> <血液型で分ける人間>部類を読破しましたよ。 (一座笑い)
エニアグラムに関する本も興味深かったです。 それがキャラクター分析へ渡ったし手相,人相をみる本まで見ました。 一方好きな俳優のフィルモグラフィーも研究をします。 ジョニーデップがなぜ<スピード>を断ったのだろうか。 私の考えにはその作品をすれば漠然と自分が発覚するかも知れないという恐れがあったようです。 漠然とした推測でしょう。

-それなら憧れる俳優らの習う点だけでなく弱点もよくよく見るのでしょうね。 どのように欠点を覆ったり克服したのか。
=ロバート・デ・ニーロはほとんど唯一メローをとったのが<フォーリング イン ラブ>です。 なぜだか考えてみました。 <ヒット>を見ればサブ テキストでロマンスが若干出てくるのにその程度が自身にはぴったり適当だと見たんです。 <ヒット>を見ればデニーロとパチーノ対決でデニーロが圧勝したと思います。 パチーノが過剰だったためをじっくり考えてみたが製作をしましたよ。 そのような形で俳優たちの軌跡を見ながら,映画を選択する時,たくさん参考にします。

-最近会ったある監督様が老練な俳優が新人と違う点は,自身が今演技する場面が映画全体でどの地点に該当するのか頭の中にグラフを描きながら,トーンを調整する点だとおっしゃったのです。
<追撃者>は約30時間の間に起きる話で<素敵な一日>はそれこそ半日を密度あるように継続する話なのに特記するほどの困難はなかったんですか?

=それより汗と血の扮装を連結することが難しかったんですよ。 <追撃者>は撮影前に最初から最後までシナリオをひろげて監督様とジヨンミンの場面の分配を隅々まで話しました。 監督様が明確な計画を持っていらっしゃったし、撮影現場でもあまりにもハプがよく合って,困難がなかったです。
<素敵な一日>も集中力を持ってできるだけ劇中順に撮っているうえに私がほとんど毎日撮影現場に行ったので問題がなかったです。 大きい設計はありましたよ。 ビョンウンとヒスが金を借りに行く相手により演技が変わります。 <追撃者>は一日の間ジヨンミンの調子がどのように変わるのかだけ考えました。 夜を明かせば疲れて鋭敏になるだろうしそうするうちに一瞬精神が澄む時が来るはずで。 澄む大きな課題がまさに蟻スーパー場面でしょう。

-<許されざる者> <追撃者> <素敵な一日>等出演作を見ればセリフとアクションのタイミングを持って相手人物を勝手気ままに翻弄する例が多いです。 それでコメディーをすれば良いと思うという想像をするようになって。
=笑わせた話すのを楽しみます。 コメディーがとても好きで,芝居する時も半分以上は喜劇を公演したし完全にコメディーに変えた<孤島を待って>ではポジョ役を担いましたよ。

-最も負担になるサイズのショットは何ですか?
=パストショットより上へ行くショットは嫌いです。 ズームインとトラックインのように近づくショットもまだ慣れません。 偶然にも今まである映画のカメラはある程度後に退いているスタイルでした。 TVドラマのサイズはちょっと過剰だと感じます。 観客が見ても感情が科して骨を折らないでしょうか。 ミディアムショット,腰や膝まで入れるショット,二人がフレーム中に入っている時(ツーショット)が気楽です。

-偶然にも出演作を目を通せばハ・ジョンウ氏の悔しい人物は映画開始から登場することが殆どないですよ。
=<追撃者>のプロローグあるでしょう? とても遠くから捉えて,よく見えなかったんですか? 私がした配役は主にツートップ中ポジションが若干後に抜けているストライカーです。 ところで主演ながらも少し後れを取っているその場が妙に良いです。 作品と人物を選ぶ時,一番たくさん見る要素がその役割が持った潜在力です。 十分な余白と空間があって,そちらへ入って,私の方法のままに満たすことができる方を好みます。 それでこそ私が何か仕事をしているという気がします。

-徐々に本性を表わして,映画空気を変えるキャラクターという意でしょう。 時々は休んでいく作品があっても良いという考えは全くしませんか?
=肉体が骨を折ったのは大変ではありません。 予算が少なくて,3千ウォンのご飯を食べなければならなければ食べて座る椅子が用意されていなければ私が持って行ってひろげれば良いでしょう。 本当に大変な場合は私の席ではないがのに無理に何かをしていると感じる時です。 持ったものもないのにあるふりをしなければならない状況は初めから選択もしません。 監督様と対話をして突然にチャンネルが閉じられてコンテのとおり行こうという時や大学生に整えて年中休んで教えるように話す時,現場で寂しくなります。


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-ハ・ジョンウ氏の場合はタイプ キャスティングが基本的に難しい条件ではないかと思います。 逆に話せばぴったり見える容貌だけで整形を代弁するのが難しいということでしょう。 すなわち豊かなスクリーン タイムが与えられなければそれだけ眼に触れないことがある俳優であって。
=新人時期にそれでオーディションで苦戦したようです。 年齢に比べて大人びて見えるのに美男ではなくて,ハンサムではないのにそれでも平凡でもなく。 演技はたびたびするのにあやふやな雰囲気なので一番たくさん聞く声が“可能性はあるようだが…”でした。 (笑い) <マドレーヌ>をとった二十五才の時、製作者ソ・ウシク代表が“君は三十才まで待たなければならない”とおっしゃいましたよ。 <追撃者>の,チ・ヨンミンを選んだ時もどのように君が連続殺人犯役をするのかという声を多く聞きました。

-<ビスティポーイズ>と<許されざる者>を共にしたユン・ジョンビン監督とは今後もずっと一緒にしたいといったでしょう? お二人が夢見る映画に交集合があるんですか。
=マーティン・スコセッシがその交集合です。 彼はギャングスターもとったが<コメディーの王>や<ニューヨーク,ニューヨーク>のような映画もとりましたよ。 スコセッシ映画に登場する俳優の演技も非常に好きです。 <良い友人ら>オープニング場面を見ればデニーロがトランクに銃を撃って足蹴りする姿をローアングルで見せています。 ところでそのアクションが各捕えられた素敵なアクションでなく粗末で滑稽です。 そのような空いたところが人物を豊富にさせてくれると考えます。 私も映画が許す限り私が持ったおかしな面を映画で率直に表わしたいです。


つづきます  by utako
by kusu_woo | 2008-11-01 21:18 | その他