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ハ・ジョンウのすべてを PART.3

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A PAINTER#02

記事もないので 『하저우 느낌있다』 の続きを。。。

★「姉」は⇒누나 ヌナと読み替えて下さい。
A PAINTER#02 絵の最初の師匠ヒョンジョン姉

 スケジュールがなく家で休む日は、気に入った画集を選んでいじくり回したりする。或る日は勉強するつもりで画集を広げた。他の画家たちの絵を通して私の絵のスタイルを作っていくためだ。こういう時は主にバスキア(78頁)やピカソ(230頁)の画集を見る。また或る日には絵の中の話に耳を傾けたくなる。静かに気持ちを整理するためだ。今日がまさしくそんな日、エドワード・ホッパーの画集(80頁)を取り出した。この画集はドラマ<ヒット>(2007)を撮った時、ヒョンジョン姉がプレゼントしてくれたものだ。
 <ヒット>は、連続殺人犯を捕まえることに没頭する女性警視と、彼女に失った人生を取り戻させる検事の愛を扱った話だ。ヒョンジョン姉は運動靴を履いて歩き回りながら、靴箱に華やかなハイヒールを集めるチャ・スギョン警視で、私はその靴箱を見てから彼女を好きになるキム・ジェユン検事で出演した。

 ヒョンジョン姉と一緒のシーンを撮り、しばし休憩中だった。ソファーに座っていると、テーブル上の絵葉書が目に入った。セット場にあった小道具だが、絵葉書の絵が映画の場面のようだった。常日頃マーティン・スコセッシがよく使うロングショット、一寸の誤差もなく正面を掴むショットが本当に好きだが、その絵がそうだった。夜遅くまで門を開けたレストランの中に、ある一組の男女が並んで座っている姿が正面から見えた。そして両横には、ある男性の後姿と料理長の横姿が見えた。マーティン・スコセッシの映画の中に出て来る場面のような感じだった。
 横に座っているヒョンジョン姉に絵葉書を見せながら、もしや画家が誰だか知っているか訊ねた。ヒョンジョン姉はエドワード・ホッパーが描いた絵<夜明かしする人々Nighthawks>だと教えてくれた。そして彼についての説明を、都市の風景を真実のまま描くアメリカの画家で、特に都市人の孤独な感情をうまく表現する作家だと言った。
 知ってみればヒョンジョン姉は美術に対してかなり造型が深く、関心がある作家の絵を直接集めるほど美術が好きだった。私がその絵を気に入ったと聞くと、姉はすぐ次の日に私にホッパーの画集をプレゼントしてくれた。そうして、ホッパーの画集が私の最初の画集になった。
 それ以来、私たちは画家と絵についてよく話をした。当時、私は絵を一生懸命描いてはいたが、私の絵がどんな画家と似ているのか、またどんなスタイルなのかよく分からないでいた。それだけではなく、美術について知識も深くなかった。中高等学校時代に学んだ常識が全部だったということだ。
 それで、ヒョンジョン姉との対話は楽しい美術の授業と同じだった。姉は私に自分が好きな画家の絵を見せてくれたり、その画家の活動について説明してくれたりした。また或る日には私が描いた絵を見せたりもしたが、すると姉は似ている感じの作家たちを教えてくれた。

 そうして知った画家の一人がまさしくエリザベス・ペイトン(82頁)だ。現在活動している若い女性作家で主に人物画を描く。アマチュアみたいに描きながらも、人物の特質をよくつかみ出す画家だ。対象を詳細に描写するスタイルではないが、絵を見れば人物の個性がとてもよく表れている。
 ヒョンジョン姉はエリザベス・ペイトンの色使いが私の絵ととても似ていると言った。私はその言葉にとても驚いた一方自信を持つことができた。ただ感じたままを描いてきただけなのに、絵に造詣の深い姉が、現在活動している有名画家と似ていると言ったのだから力が出る。
 実は絵を始める時、学院に通わなかった理由は、デッサンだけを長い間習うのではないかと心配したからだ。その過程で私の感覚と表現方法が画一的になるのが怖かった。しかし時には私がきちんと出来ているかも気になっていた。そんな私にヒョンジョン姉の言葉は大きな確信をくれた。
 ペイトンの色使いはとても果敢だが、姉はそんな点が私と似ていると思ったようだ。薄緑のシャツを着た男性が赤いソファーに寝そべっていたり(83頁の絵)、橙色のシャツを着た男性が赤い色の壁に寄りかかった姿を見るととても力強い。実際の人物のままを描くこともできるが、ペイトンの目を通すともっと刺激的な表現になるようだ。また明暗を果敢にして、顔の一方を明るく塗って反対側は黒く塗るせいで、人の表情がとても独特な感じになる。
 ペイトンを紹介してくれた次の日、姉は私にペイトンの画集を送ってくれた。興味深い人物画が多かったが、特に気に入った部分はそれぞれの人物が酔ったポーズだった。とても逆動的で事実的だった。
 ペイトンは人物を直接見て描くのではなく写真を見て作業をするという。そうして描き上げた顔は誇張され、目は開けていたり伏せたりしている。瞼の小さい筋肉が作る微妙な感覚のために絵が‘事実的’に見えた。煙草を持った指は神経質に顎を支え、腕を垂れたまま休んだ姿勢で危なっかしい雰囲気が漂うが、こういう表現がまた人物を‘事実的’に見せる。
 ペイトンは‘事実的’という言葉の範囲を広げた。人々は‘事実的’という言葉に‘当然こういう事’という偏見と推測を持つ。お互い寄りかかった姿が優しく見えるとか、母親が子どもに向けて伸ばした腕が温かく見えるとか、その通りだ。しかし、ペイトンの表情とポーズはそのような典型的な事実とは違う。ペイトンがつかみ出す人物には、その人物だけが持った独特な個性が表れる。まさしくその個性が人物を現実的に見せるのだ。

 ヒョンジョン姉はペイトン以外にも多様な作家を紹介してくれた。その中でもルイーズ・ブルジョワ(1911~2010フランス出身の画家であり彫刻家)は、ペイトンと同じくらい特別な作家だ。ペイトンが私に画家として勇気を出すように励ましてくれたなら、ブルジョワは新たな試みが出来るように啓示をくれたのだ。
 ルイーズ・ブルジョワは100歳近くまで活動を止めなかった情熱的な作家だ。わが国では‘母’という意味の<ママンMaman>が有名だ。<ママン>は長い足の母蜘蛛を表現した青銅の彫刻像だ。
 しかし、私はその青銅の彫刻像より、彼女のドローイングがはるかに気に入っている。白い紙の上に描いた赤い線に純粋さを感じるからだ。くねくねした線はまるで小さい子どもが描いたように見えて、ずっと笑みが止まらない。そしてその未熟な線は、私に左手で落書きを試してみるという刺激をくれた。

 映画<追撃者>(2008)を撮った時だった。一日中連続殺人犯チ・ヨンミンを演技して、ホテルに戻ると頭の中が混乱していた。辛い撮影で身体はへとへとに疲れ、頭はすっきりしなかった。やはり気持ちも暗く重たかった。照明を暗くした部屋で枕を整えて寝ても安らかではなかった。目を閉じて静かな音楽を聴いても同じだった。その時、私は無理矢理眠りを呼ぶ代わりに絵を描いた方がマシだと考えた。ルイーズ・ブルジョワのドローイングのように、単純な絵を描きたかった。書き慣れた右手の代わりに左手でペンをつかんだ。
 最初はとてもぎこちなかった。文字書きを最初に習った子ども時代に戻った気分だった。ちょっと足りない人になったようでもあった。しかし、すぐに右手を使った時とは違ったリズム感が生まれて速度が増した。書くことだけに集中すると、心も次第に空になっていくようだった。不思議な経験だった。電話番号や暗証番号みたいな数字をずっと書いていたら頭がすっきりしてきた。その次の日から<追撃者>を撮ってホテルに戻ると、左手で落書きを始めた。左手落書きをする時だけは知らない感覚の虜になり、私はチ・ヨンミンでもハ・ジョンウでもなかった。その知らない感覚が私に自由をくれた。
 
 自分が立っている地点を知ると、夢もさらに鮮明になるということなのか。ヒョンジョン姉がプレゼントしてくれた画集たちのお陰で私の絵の道はもっと鮮明になった。けれど、俳優ハ・ジョンウだけでなく、画家ハ・ジョンウにとってもヒョンジョン姉はこの上なく有難い人だ。いつの日か、姉に私だけの画集をプレゼントする日が来ると嬉しい。

この「A PAINTER」は#7まであります。
なかなか裏話が面白いのですが、ホント進みません(汗)


by uki
by kusu_woo | 2011-07-10 01:04 | その他